突撃インタビュー!ジュエリーデザイナー津田珠子さんvol.1

この記事はJewelist(ジュエリーを愛する人)である私・石井珠代が、ジュエリーに関わる人たちにスポットを当て、その方のお仕事や人となりを知って欲しいという勝手な企画です。

今回は第一弾に引き続き、ジュエリーデザイナーの津田さんをご紹介させて頂きます。

津田珠子さんです。

写真は苦手とおっしゃるところを撮らせていただきました。 

津田さんを初めて拝見したのはTV通販番組でした。そのジュエリーはそれまでみたことのない新しいコンセプトで作られたもので、その魅力につい惹きこまれワクワクしながら見たことを覚えています。 その後もブログなど拝見し、個展にお邪魔させていただいたり。 名前に私と同じ「珠」があることも妙に親近感もありました。

親しみやすい中にもどこかミステリアスなイメージもある津田さん。とても気になる存在だったので、お話を聞かせてください!とお願いしてしまいした。

 これまでお会いする時は個展ということもあり、いつもブラックスーツ姿でしたが。この日は3月、春の柔らかなラベンダーカラーがとてもお似合いです。 繊細な印象ですが、果たして… 


💎Profile💎

 東京都生まれ。幼い頃、真珠ビジネスを手がけていた祖父のアトリエで宝石に触れる。 

成城大学文芸学部 芸術学科卒業、博物館学芸員の資格を取得する。

国内ジュエリーメーカーのデザイナーとして活躍し、2000年国際ゴールドジュエリーアワード受賞、2001年インターナショナル・パールデザインコンテストにて入選。またパリ国際サロンの会員にも2010年まで在籍し、絵画やジュエリー作品を発表。 

2004年アトリエ AU PIED DE L’ARCENCIEL(虹の麓)を立ち上げ、個人のお客様へオート・クチュール・ジュエリーとともに、オリジナルコレクションの制作をスタート。2007年にはベルギー国際ダイヤモンドコンテストに選出される。 2007年~2010年までTV通販でのオリジナルブランドを展開後、現在は同メーカーのクリエイティブディレクターを務めている。

毎年開催される個展では「ジュエリーを媒体としたアート」という独自の試みで、毎回新たなギャラリーワークを展開している。ジュエリーとお客様の架け橋となるような世界観を生み出し楽しませてくれている。


💍目指したのは、博物館学芸員だった💍 

石井▶︎今日はお時間いただきありがとうございます! さっそくですが、津田さんのプロフィールをホームページで拝見して気になることがあるんです。 博物館学芸員の資格を取られていますね?

津田🍀はい、博物館学芸員になるつもりでした。 小さい頃から本を読むのが大好きで。 母から外で遊びなさいと言われて出かけるのですけど、図書館に行っていました。 図書館にある本全部読みたいと通っていました。

小学生になると近くに松濤美術館があったので、ルネ・ラリックのガラス工芸とか、日本文化、アンティークも好きで、アールヌーボーの作家さんの工芸品なども見るのが好きでよく行っていました。そんなふうに美術館とかアートに触れる機会が割と多かったので、関わる仕事がしたいなと思って。小学校から成城学園で、成城大学には芸術学科があり、学芸員の資格が取れるということで進学しました。卒業後は博物館や美術館に勤めるつもりで通っていました。


石井▶︎ジュエリーデザイナーとあまり接点がありませんね。 でもお爺様は真珠ビジネスをされていたと、昨年個展の折にお母様からお聞きして。てっきり代々宝飾業界にいらっしゃる方だと思っていました。 

津田🍀祖父は、真珠のジュエリーをデザインし催事などで販売していたみたいです。 私が物心ついた頃には祖父はすでに仕事を引退していて記憶はありません。でも祖父のアトリエは残っていて、真珠玉が転がっていて触ったり、宝石の本があってそれを見たりしていました。 

石井▶︎お父様は真珠ビジネスは継がれなかったんですね。 

津田🍀別の道を、日本茶と飲食のお仕事をさせていただいています。

母は父とお茶の仕事をしていたんですけれど、私が母のお腹の中にいる頃、祖父の手伝いで真珠を磨いたり、穴あけや蓮組みとかはしたようです。

今こうやってジュエリーデザイナーのお仕事をさせていただいているのは、きっとその時の記憶があるからだと母は話しています(笑)

石井▶︎確かに不思議なご縁です。

でも当時は博物館学芸員の資格を取られて、それを生かして就職するはずだった。

津田🍀はい、卒業後すぐにどこか博物館や美術館などに就職できると思っていたんです。でも当時は就職するまでに10年待ちとか。希望される方がたくさんいらして順番待ちのようになっている。分野によっては大卒から大学院へ進み、研究を積んでからでないと進めないなど。新卒で就職ができる世界ではなかったです。

石井▶︎そんなに厳しい世界なんですね。

津田🍀もっと早く調べていればよかったんですけど(笑) 大学卒業後は社会に出て働きたい、自立したいと思っていたので、人生設計が狂ったというか、これはまずいなと思い、今から就職できるところはどこだろうと探しましたが、当時は就職氷河期でほぼなくて。専門学校ですとか専門職なども受けてみたり。 普段から趣味で絵も描いていたんです。そこでデザイン系の会社もいくつか応募して、採用されたのが国内のジュエリーメーカーさんのデザイン企画室でした。

 

石井▶︎それはすごい!ラッキーでしたね。 大学が芸術学科でしたし、絵も描けたわけですね。 

津田🍀それが当時は、美術史や論文などがほとんどで、絵は個人的な趣味で描いていました。ご近所に車のデザイナーさんがいて描き方を教えてくださったり、そんなレベルです。 応募の時に、何か作品を持ってきてくださいということだったので、その頃描いていたのが鉛筆で、動物の毛などモコモコしたものを書いていたので、その線画みたいなものを持っていきました。こんな絵が描けるなら細かい絵も描けるだろうと思っていただけたようで、運が良かったというか、おかげさまで拾っていただけたという感じでした。 

石井▶︎運も実力のうちといいますが、今思うとやはりジュエリーとご縁があったのかもしれませんね。 それにしても、博物館学芸員とは全く違う世界に飛び込むことになった。 宝石のことデザイン画の描き方など全く知らない状態ですね。 

津田🍀全く初めてです。石の硬度はもちろん何もわからない状態で、デザインの描き方もわかりません。メーカーさんから専門学校にいってくださいと言われ。内定を頂いてから専門学校に通いました。ちょうど入社半年前。費用は卒業旅行のお金を充てました。 半年経った頃、ちょうどデザイン画の基礎的な描き方を学んだ頃の4月に入社。するとメーカーの仕事が忙しくなり、現場が大変!と学校に行く時間がなく、2年通うはずが結局行かないまま除籍になりました。  

Vol.2へ続く

石井珠代オフィシャルサイト

通販ゲスト(GSTVジュエリーコメンテーター)、イメージコンサルタント、 エイジレスビューティーアドバイザーとして活動。 歳を重ねても若々しく魅力的に過ごすためのエッセンスをお伝えいたします。

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