突撃イン!ジュエリーデザイナー津田珠子さんvol.2
(画像はイメージ)
💍無我夢中のメーカーデザイナー時代💍
石井▶︎それは大変でしたね。人が数年かけて学ぶことを、実務とともに集中させた期間かもしれません。でも経験も少ない新入社員の頃から忙しかったんですか?
津田🍀入社した頃のデザイン企画室は過渡期でした。
それまで営業アシスタント的な仕事がメインで、受注した仕事のデザインを描くということが仕事でした。それがオリジナルの製品に力を入れていこうということになり、営業アシスタント的なデザインをしつつ、よりクリエイティブなデザインをするという路線が加えられた状態です。
オリジナリティの高いデザインを何か、どんどん、自由に描きなさいと。強制的に書かされる状況だったので激務でしたね、でもありがたかったです。
石井▶︎「ありがたかった」んですか?
半年前に初めて触れた世界で、デザインもしたことがなかった中で自由に書けと言われると戸惑いそうですが。
津田🍀それが、なにかすごく嬉しくて。
覚えたてのことをすぐに伝えられるというか、思い描いたこと、やりたいと思っていたことがすぐできる感覚。ちょうど三歳児のような、覚えたことをすぐに自分でもやりたい!という時期だったんだと思います。
石井▶︎専門学校で描けるようになった頃入社。それを実践でどんどん使える。描きたくて描きたくて仕方がないという感じ?
津田🍀はい。しかも営業さんの場合はお題をいただけて、そこからどんどん描いていく。お客さまに合わせて描くというトレーニングもさせていただきつつ、コンテスト用の奇抜なデザインも描かせていただけるという、とてもラッキーでした。
石井▶︎まるで「水を得た魚」のようですね。でも一方で激務だった。
津田🍀最初は新人なので使いものにはなりません。最初の1ヶ月はこの石を使って10型かいてみてという感じで、じっくりのんびり教えていただけました。定時は朝9時から17時半までそこから片付けて遅くても19時には退社していました。
その後体制が成果主義のように変わってきて、どんどん描いていくことに慣れていきました。
一番忙しい時期は日付が変わっても会社にいるみたいな。終電ギリギリかタクシーで帰り、仮眠してまた出勤するという毎日。会社に泊まりたかったですね。
石井▶︎ハードですね。でも同時にご自身のデザインが商品として市場に出ていったわけですね。
最初に商品化されたデザインは覚えていらっしゃいますか?
津田🍀覚えています。最初に商品化されたデザインはメンズのブレスレットです。
営業さんから、今まであった太い喜平チェーンのブレスレットではなく、オシャレで付加価値のある素材で作りたいと言われて。プラチナを使ったブレスレットをデザインし、それを芸能人の方に差し上げ褒めて頂きました。
そこからメンズのシルバーアクセサリーがブームになっていき、そこに合うヤング向け小売店さんへ、ライトジュエリーだったりメンズのジュエリーなどをデザインさせていただき、そこから女性向けを作っていったりしましたね。
石井▶︎メンズジュエリーがスタートなんですね。
それは入社してどのくらいですか?
津田🍀1年目の終わりか2年目の時期だったと思います。
そこから年に何回かの大きな業界向け展示会のたびに、新作のデザインが採用されました。
石井▶︎お題がある場合と自由に描く場合で、津田さんらしさは変わりますか?
津田🍀当時は、自分の描きたいテイストっていうのもあったと思うんですけれども。
お題がある場合、例えばルビーだったらこの辺のルビーを使いいくらで作れという。 今のファッションやトップモードがこういうデザインでこんなイメージですから、それをアレンジしていいですかというやり方ですね。
ファッションデザイナーさんがやっている、トレンドのカラーをみてイメージを表現していく感じですね。ナチュラルだったり、エレガントなのか、フューチャリステックなのか、そういう素敵なことを自分もジュエリーでしていいんだって思っていたんです。それに合わせてデザインするのが好きだったので。
お客様(小売店)に合わせて自分の色を少し乗せてデザインする方が好き、だからゴシックでといわれれば、ゴシックでデザインしましたし。 もともとアンティークジュエリーが好きなので、ヨーロピアンデザインも描きました。モダンがいいといわれればモダンなものを描きました。むしろそれでいろんな引き出しが増えると思ってなんでもやっていました。
石井▶︎お題があって自由に描くにしても、メーカーですから売れなくてはいけないという前提があります。コストやそういったことを意識したデザインをされてきたということですね。
個人のお客様からのオーダーでデザインをすることはありましたか?
津田🍀個人のお客様はメーカーとしてもVIPなお客様ですから、上司など上の方が担当していました。
石井▶︎コンテストに出品されるデザインもあったのですね。いくつか賞を受賞されています。
津田🍀そうですね。2000年国際ゴールドジュエリーアウォードと2001年第28回インターナショナル・パールデザインコンテストはメーカー在職時のもの。
2007年ベルギー国際ダイヤモンドコンテストはアトリエを立ち上げてからのものです。
石井▶︎すごい! 独立されてからコンテストに出品するのは大変な労力です。
当時メーカーさんでは毎日どのくらいデザインを描かれたんでしょう?
津田🍀どのくらいでしょう…事務的なデスクワークもありましたから一概に言えませんがかなり描いていました。ただ、だんだん1週間に何型描き、何型採用されたかという成果主義になってきましたね。
石井▶︎メーカーさんにはいつまで在籍されていたんですか? 何かきっかけがあったのでしょうね。
津田🍀5年半くらい在籍しました。 理由はいくつかありますが、一つは体力的に厳しいなということは感じていました。
石井▶︎確かに成果主義で、睡眠不足が続くハードな毎日でしたね。
<Vol.3「宝飾品との出会い」へ続く>
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